ミュージシャン復帰の第一歩
俺はいつものように外出許可時間に小樽駅前に行った。
今度は仕事ではない。病院にいたくなかったのと
自由に電話をしたかったからだ。
駅前の長崎屋ベントに座り、FaceBookを確認する。
そしてメッセンジャーをチェックし、とある人物に
電話をかけた。
30年前にHRバンドをやっていたギタリストの細君だ。
ギタリスト(以下S)は元々幼いころ三味線から
楽器に入った男であり、様々なバンドを経て現在は
細君(以下Y)と一緒に三味線をメインとした
無国籍な音楽活動を何年も続けていた。
俺話したのはYである。三味線に加えYのVoと
民族楽器、和服でに日本舞踊を俺のドラムを加え、
どこにもない音楽をやろうと。
8月の扱った日、話は長引いた。だが目途はついた。
俺が退院次第にリハーサルを開始しようと。
俺は何としても10月11日の退院日目標で、念願の
TAMA Cocktail Jamを入手しようと決意する。
ここ最近味わったことがない高揚感が溢れてくる。
同時にいよいよ退院の日が待ち遠しく、
残り50日余りが呪わしくてたまらない。
脳内が先走り、シンバルの攻勢を吟味したり
スタジオとの段取りを勝手にイメージしていた。
この件を考えている時間だけは、喪失感や
個億巻に襲われることはなかった。ただただ
この地獄の空間に居ることだけが俺お苦しめた。