ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

去年一年の激動

年末年始は双方の実家に伺い、ご挨拶。
だが相変わらず隠れ飲みをしていた。

その前年あたりから常軌を逸した飲み方になり
数年の間はバスの乗降が出来ず帰路が分からず
階段から転落し、口から、そして下半身から
吐しゃする。衣類や敷物を便で汚す。
しょっちゅう救急車やパトカーの世話になる。

メンタルクリニックには通っていたが
元妻に運転して連れて行ってもらう場合以外は
診療の前に近所のコンビニで必ず飲んでいた。
診療後、帰り道でも飲んでいた。
乗り換えの福住駅でもイトーヨーカドー
フードコートで隠れ飲みしていた。
それがおかしいことだと気づかなかった。

ついに入院を申し渡される。旭山病院だ。
だが俺には全く酒をやめる気はなかった。
入院翌日からコンビニで買っては飲んだ。
それが二回に渡ってばれた。2回の飲酒で
強制退院だ。1か月の予定が2週間で退院だ。

その頃、離婚の話となり、申し開きが出来ず
双方合意の上で離婚となった。
俺の惨状が原因なのは間違いないが、
元妻の言葉はニュアンスが異なっていた。
俺一人で家族を支えるべく無理に無理を重ねて
これまでやってきた。そこから解放してあげる。

そういう人なんだ。常に相手のことを思うのが
元妻の人間性だ。それに比べて俺は。

相前後して、物心ついてからずっと心身に
虐待を受けてきた親と縁を切る。これは良かった。
自分を縛り付けてきたものから解放された。

5月25日。小樽いしばし病院に入院した。
この日をもって、俺の家族はきっぱりと無くなった。

外出許可が出た10日後から俺は隠れ飲みをしていた。
それがばれたのは6月15日、隔離部屋に収容だ。
丸っきり留置場と同じ造り、考え方の部屋だ。
この地獄部屋で三泊を過ごした。発狂しそうだった。

何とか6月19日に一般病棟に戻る。
その日から一滴も飲んでいない。

退院の10月1日までの間、ミュージシャンに
戻ることを決め、ドラミングスタイルを考えた。
同時に幸せだったころを思い出しては泣いた。

本当に本当に幸せだった。連続飲酒になるまでは。
思い出はすべて楽しくて嬉しくて笑顔だった記憶だ。

今の俺、それは自業自得だ。
だから命を燃焼させる必要がる。恩返しはそこだ。
見てようと見ていまいと、俺は燃焼する。
泣きたい時は泣き、幸せの記憶に感謝するんだ。