ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

きっかけは糖尿病から来る末梢神経障害

もう4年くらい前になろうか。俺は連日の連続飲酒と常時泥酔で、とっくに終わっていた。だが奇跡的にまだ家庭は維持していた。元妻の努力と困惑、やさしさ等々あったんだと思う。

その頃に、両足の裏が「読めないタイミングで大激痛」が走るようになった。絶叫だ。我慢が出来なくなり、自らの意志で自宅から近かった札幌緑愛病院を受診した。即座に3週間の入院を言明された。

f:id:sugiyama-yuuichi:20210312102727j:plain

当時自営の会社の仕事もあり、飲食店も経営していた。かなり抵抗したが仕方なく生まれて初めての長期入院となった。緑愛病院では精神科と違って自由度も高く、とにかくそこが初めてだったのでむしろ居心地はいいと思っていた。食感は出入り自由。病委員となりはセイコマ。タバコ部屋もしっかりある。カード式のテレビも冷蔵庫もある。

退院するとぞ同時に仕事だ。見積もりを依頼されていたお客様のところに走ったり飲食店の再開に向けて準備したりしていたが、緑愛病院にはアルコールの問題を指摘され、現在も通う幹メンタルクリニックを紹介される。治療、集団療法には家内も良くついてきてくれた。しかし懲りなかった俺は酒をやめる気が全然ない。

指示された入院先の旭山病院は2回に及ぶ飲酒で強制退院となり、その後即座に小樽いしばし病院への修行入院を厳命された。これまでの近代的病院とは違って、いしばしはほとんど収容所だった。留置場だった。余りにも古く、入院患者の一人に言わせると「豚小屋」とのことであり、賛意を表する。

4か月の入院は精神バランスを整えることだけで精いっぱいだった。1分1秒が俺を痛めつける。退院予定の10月1日を手帳に記しては1日ずつ減ってゆくのが唯一の楽しみだった。

今。好きなメニューを毎日作っておいしく食べている自分が楽しい。もっと楽しなるように、もう鬱にならないように。俺は日常と音楽とドラミングを徹底的に整える。

f:id:sugiyama-yuuichi:20210225150634j:plainf:id:sugiyama-yuuichi:20210114160339j:plain