ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

俺は怖がりなんだ

そうなるように育ってきた。アルコールとギャンブルと女に
おぼれていた父。伊東市の高校を卒業してせっかく入った
信用金庫を、顧客の金を使い込んで首になった。

俺は生まれたばかりで若い二人ではどうしょもないし
父型の実家からは罪状に鑑みて絶縁となり、父母は東京に
逃げてきた。その時に俺は北海道、日高の浦河町荻伏に
預けられたらしい。3歳まで。

3歳で東京に連れ戻された。記憶もおぼろだが、毎日怒鳴り合い
掴み合いながらの大げんかばかりだったように記憶している。
子供心に、俺は「今どうすればこの場が丸く収まるか」ばかりを
考え、大人の顔色ばかり窺う子供になっていた。


それはそれで怒られるんだ。「人の顔色ばかり見やって」と
何度母に殴られ、蹴られたことだろう。
柱に縛り付けられて火をつけられたこともある。

特に笑うと怒られた。楽しそうにするなと言われる。
遠足の写真で俺が笑ってる一枚があったんだが、
火が付いたように折檻された。楽しそうにするな、恥ずかしいと。

杉並区の和泉町、京王線代田橋に住んでいた。
父はトラックの運転手だ。相変わらずけんかも多かったし
母が出て行ったりと言うこともあったが、9歳までを過ごし、
10歳の頃になぜか北海道へ一家で転居する。

恐らく夫婦なりに人生の出直しを図ったんだと思う。

その日から、俺が実家を出て23歳で一人暮らしを開始するまで、
恐怖の毎日だった。血が飛び交い、父の酩酊があり、母の風俗勤め、
自らに向ける包丁、父の再度の使い込み。数千万だったらしい。
それに伴う自殺未遂。止めたというか、列車が来る寸前で
線路の土手から父を投げ飛ばしたのはこの俺だ。高校生だった。

一人の人間が感情を激したときに何が起こり、周囲がどうなるのか
徹底的に叩き込まれて育った。

色々な方法があっただろうが、俺は親の恐怖から逃げ、
そして唯一のよりどころだったドラムが叩けなくなったことから
目を背けるために酒に逃げた。

つい昨年、親とは縁を切った。楽しいことではないが、
俺は良かったと思っている。初めて思っていたことを言えたんだ。


両親を見ていて、俺はこうはならないと決めていた。
息子の前では絶対に喧嘩をしないこと。大切にすること。
何があろうとありがとうを伝えること。感謝知ること。

それは守ってきた。

なのに。酒害で家族を失うことになってしまった。
元妻に「幸せにしてあげられなくてごめん」と、入院中に
メールしたことがある。
「いいえ、幸せな三十年だったよ」と返ってきた。

病気を治すんだ。俺は病気を治す。だから飲酒欲求なんてゼロだ。
自分がバカだったとは思わない。病気になったんだ。
だからその病気を治すんだ。今のところ順調だ。

思ったより全然困っていない。とても順調だ。