幼稚園の頃のはずだ
俺はドラマーになるんだと決めた。
小学生の作文は常にドラマーへの思いだった。
大して点数が取れないテストの答案用紙、
裏には緻密なドラムセットやステージの絵を描いた。
嫌な嫌な家庭で育った。
毎日のように両親が流血戦の家に育てば
何らかの変わった要素も出るだろう。
その重要な一つが「ドラマーになる」夢への逃避だ。
そして俺はその頃作文に書いていた夢、
全てかなえてしまった。
売れ線の音楽はやっていなかったので一般的には
誰も知らないに近いだろう。HMやプログレだから。
今でも国内外、普通にCDショップでも通販でも
俺が叩いている楽曲のCDは多数販売されている。
そんな俺と言う人間の根幹だったドラムが
叩けなくなり、その上メジャーからの発売記念ツアーで
手足は限界を迎え、引退を余儀なくされた。
これが酒害へのスタートだ。
アルコール依存症への道をまっしぐらだった。
言い訳とでも何とでも言えばいい。事実は事実だ。