335 家庭がなくなってしまう寸前
一か月くらいだろうか、TVも見ずに三人で
人生のこと、考え方、思い、色々な話を
毎晩毎晩していた。三人とも本音で飾らずに
自分の言葉を紡いでいた。
あんなに濃密に会話したのはいつ以来だろう。
息子が大人になってからは、なかったんじゃないか。
40歳の頃、長年勤務していた楽器メーカーを
仕方のない理由=全社的業績悪化で退職し、
単身上京して音楽と仕事、両方の勝負に出たことがある。
その時は夫婦で語り合った。俺は本気で思うことを
伝えた。妻は「家族のことも考えてくれていたんだ」と、
その部分だけは本当に喜んでくれた。
だが二軒の維持は本当に大変で、経済的にも苦労を掛けた。
妻も働きに出なくてはならず、幼かった息子には本当に
寂しい思いをさせた。ついこの前まで毎日そばにいるのが
当たり前だったお父さんとお母さんがいないんだ。
俺の力不足だ。謝っても謝り切れない。
だがその数年間があって、俺は自分の会社を作ることが
出来るようになったのは間違いない。札幌クリエイトだ。
sapporo-create.com
そして音楽においてもまず札幌クリエイトで楽器レッスンを
運営し、かなりの人数を集める。さらに札幌の専門学校で
非常勤講師を務め始めた。
www.visualarts.ac.jp
バンドではREDで徳間ジャパンからメジャーデビューする。
tower.jp
一見順風満帆だ。
収入もかなりあった。だが。
俺は幸せじゃなかった。
心も体も辛かった。忙しく動き、
稼げば稼ぐほど擦り切れて行った。
今思うとその頃から今を占う萌芽が見えるように思う。
気が進もうと進まなかろうと続く付き合いや飲み会。
やがて徐々に俺は会社事務所に泊まりこむようになる。
中心街だし、夜遅いときは確かに便利だったが、
今思うと「会社で目覚める」あの悲しさは不思議だった。
もっと家族と一緒に居たかったんだ。
自分の幸せは家族の幸せなんだ。
だから一生懸命生きていたつもりが、
やればやるほど俺は歪んでいったんだ。
そしてとどめとして、糖尿病から来る
末梢神経障害で俺の最後の拠り所だった
「ドラミング」が出来なくなる。
俺は壊れることになる。
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