98、ドラマーの私
話は幼稚園児迄さかのぼる。
生まれてからすぐに私は母方の実家に預けられたらしい。当初からの夫婦関係が推し量られる。父母の元に戻ったのは3歳とも聞いた。恐らくその直後だろう。
あれは間違いなく日劇ウェスタンカーニバルだ。私はテレビ画面のまえなから動けなくなっていた。ドラムスである。言葉にならない内なる興奮と引力だ。
一人で居るときにはテレビのチャンネルを回してはバンドの映像を求めた。やがてドリフターズである。もちろん子供らしくコントを見て笑ったものだが、問題はその次だ。舞台が回転し、歌手の出番、バックはニューブリード、ダン池田のフルバンドである。ステージ中央、一段高く配置されたドラムセットに私は釘付け、ドラマーの動きを必死に覚えようと集中していたことを覚えている。
五年生。私は初めて 「足元の大きな太鼓は足で踏んで音を出している!」と知る?それは余りに難しいではないか!
六年生。長距離移動の車中で私はKISS のとある曲のイントロピックアップ、ベタベタの8ビートを練習し、二時間でその動きをマスターした。頭の中は完全なドラムセットになっており、その頃からイメージトレーニングを自然に行っていたのだ。
作文で書いた当時の夢は、全て叶えて来た。ドラマーの私が本当の私なのだ。手前味噌だが初めてスティックを持ってセットを叩いた時、既にショットは出来上がっていたのだ。
それから40年、私は糖尿病が及ぼす末梢神経障害により、ドラマー引退を余儀なくされた。メジャーから発売のCD記念ツアーは、言う事を聞かない四肢との闘いだったのだ。それが6年前辺りだ。
私は私を無くした。私の存在意義を無くした。居場所を無くした。酔っているときだけが安心出来た。
今、私は出来るドラミングを精一杯やろうとスタートラインに立とうとしている。そして。
酒はもう私には必要ない。何故か?
私はドラマーだからだ。