ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

371 必死だった。そんなこともあった

俺が23、妻が19の時に出会った。
俺はドラムの先生。妻は教室の生徒だった。

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本当に長いこと付き合っていたんだ。
7年ほどになる。妊娠が分り、今で言う
出来ちゃった結婚となった。

妻の両親からの大反対(当然)もあって
所帯を持つまでが本当に大変だった。

妻は妊娠中に大人の水ぼうそうとなり、
一人暮らしのアパートから俺のアパートで
寝起きすることになる。俺は営業回り中に
自宅に立ち寄り、タオルの交換やらいろいろと
看病した。その間にも二人で、いや三人で
暮らすための住居を探さねばならなかった。

会社に事実を全て告げ、会社主菜での結婚式が
行われることとなった。バンド関係の友人も
立ち上がってくれ、盛大にパーティーが開かれた。
都合2回も結婚式を挿せてもらえたようなものだ。
とても幸せだった。

生まれた息子は宝だ。何があろうと二人で守ろうと、
どんな労苦もいとわない、そんな覚悟だった。

順調に育つ息子。そんな中、勤務先の調子が悪くなり、
俺は退職を余儀なくされた。退職金が出るうちに
やめた方が良いという上司の計らいだった。

’(実際その7年後、会社が倒産する。)

俺には学歴も資格もなく、出来ることと言えば
web制作の技術とドラマーとしての存在だけだ。
その2つを抱え持って、単身東京に旅立った。

持ち家だった札幌のマンションを出る時。
「行ってくるよ」が忘れられない。何の保証もない、
どうなるかわからないところに行くんだ。
俺の恐怖心はすごかった。会社員として17年だ。
そんな俺が一人でいまさら何が出来るのか。

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しかし何とか人様のご縁で俺はドラマーの仕事をしながら
音楽系公庫億代理店でweb制作の責任者として籍を置く。
会社は懐が広く、月に一度、札幌に帰らせてくれた。
連休も年末年始も帰らせてくれた。

札幌の家に帰っとき、息子が言ったんだ。
「やっぱりお父さんがいてくれた方がいいなぁ」
その言葉を聴いて、俺は札幌に戻ることを考えるようになる。
社長と相談のうえ、札幌に制作拠点を作ることで合意。
俺は晴れて札幌に帰ってくることが出来た。

その後俺は自分の会社、札幌クリエイトを立ち上げる。
13年前の話だ。
そのあたりからゆっくりと、でも確実に
アルコールにやられていく。

悪い意味で無理しすぎたのかもしれない。
おれは純粋に家族の幸せのためにと、そこだけは
揺らいでいなかった。でも、妻や息子から見たならば。
大金を稼ぐ代わりに不眠不休でストレスにまみれるよりも
少しくらい苦しくても、家族皆で笑って暮らせる毎日があれば
それで良かったのではないか。

回復した俺だからそんな風に考えられるんだろう。
当時はただただ必死だった。その必死さが最悪の形で
俺を変えていった。ゆっくりと。なので気が付いた時には
もはや立派なアルコール依存症になっていた。

妻は悲しかっただろう。心配し眠れず安心できず、
本当に辛い悲しい時を過ごさせてしまった。
世界一幸せにするって、俺は誓ったんじゃなかったか。

実は、そう考えない日は、
一日たりともない。


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