355 不都合の原因は劣等感だ その2
前回、その1の続きです。
その1はこの記事の下の段、
または以下からご覧ください。
sugiyama-yuuichi.hatenablog.com
そのバンドのデビューライブは「その1」で書いたように
散々な出来だったのだが、不思議とクビにはならず、
長年在籍することになる。時間をかけて俺の劣等感は
薄れていく。
また、その頃に出会った女性がいる。
元ドラム教室の生徒だ。俺はその頃、
先生もやっていたのだ。その元生徒と
長年の交際の末、結婚することになる。
彼女の親は大反対であり、普通に結婚式も出来なかった。
当時の俺では反対されても無理もない。尤もな話なのだが、
ここでも俺の劣等感が顔を出す。学歴か?ふざけやがって。
そんな感覚もあった。義理の両親とは、息子の誕生とともに
徐々に氷解して行く。
また、件のHMバンド在籍時にレコーディングで協力したブログれバンド
「Prividence」の圧倒的な魅力に惹かれ、俺はHMバンドを脱退させて
もらい、Prividenceに正式加入する。
その後俺はずっとバイトしていた会社=楽器メーカーに
正社員として迎えてもらう。許可を得た上で専門学校で
ドラム講師も同時に努めた。
合計すると同世代の大卒にも負けない収入があった。
俺は生き残ることが出来た、そんな思いの30代だった。
やがて国内はもとより米国ツアーも実現、2ndアルバムも発売される。
だが俺の心にある「恐れ」「怒り」「恐怖」は
いつまでも消えることがなかった。
俺が育ったような家にだけはしないと誓い、
絶対に息子の前で夫婦喧嘩をせずいつも笑顔で。
その辺は守ってきたと思っている。
でも、やはり俺は愛されるということが分らなかった。
愛することはしてきたつもりだが、ひょっとしたら
見当違いだったのかもしれない。その正解も今となっては
分からなくなってしまった。
その頃から、俺の酒量はじわじわと増えて行った。
飲んで酔ってる間は「得体の知れない不安」から
逃れることが出来た。今現在のこの信じられない
ような幸せがいつまで続くんだろう。
そんな不安だったように思う。
案の定、17年も務めた楽器メーカーは業績が悪化、
俺は直属の上司から退職を勧告され、
従うことになってしまう。
その後俺は家族と人生をかけて単身東京へ行く。
ドラマーとして、そしてクリエイターとして
生き延びるために。
当初は所属先レコード会社のスタジオで寝泊まりしていた。
丸っきりホームレスだ。2か月後に家賃2万の四畳半を借りる。
築50年、共同玄関共同トイレ共同水道、引き戸の部屋だった。
・・・
その間も札幌の生活費は必要だ。わずかな退職金は使い果たし、
俺はカードローンに手を出してしまう。半年間はカードで
東京と札幌の生活を賄っていた。
俺は自分の情けなさに死にたい思いだった。
俺の自力ってこんなもんか・・・そうだよな、俺なんて・・・
家族に合わせる顔がない。「寂しいけど成功してお父さんは
返ってくるから、一緒に待ってようね」そんな妻の声が聞こえそうだ。
何もかも嫌になって、借りていたアパートのすぐそばにあった
等々力渓谷の基壇で真冬に眠っていたこともある。
通りすがり、犬の散歩中だった老人に助けられた。
そうなったきっかけは「俺なんて・・・」な劣等感だ。
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