ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

ドラムを叩く

元々プロのドラマーだった俺が、糖尿病からくる末梢神経障害で徐々にプレイできなくなっていったのは2013年、メジャーデビューしたばかりの「RED」在籍中のことだった。ついこの前までできていた演奏が出来ない。限界は1stアルバム発売記念ツアー中に訪れた。泣きたいほどの絶望感は最終公演の札幌をもって俺はドラマーを引退した。

ちょうどその頃から狂気の連続飲酒が始まった。

飲んで酔ってさえいれば、ドラマーじゃなくなった自分を見なくて済む。無価値な自分を認識しなくて済むんだ。自分の現実を見たくない。後から分かったことだが、恐らくタイミングから見てそれが原因としか思えない。

俺は2020年5月まで連続飲酒を続けていた。その前数年間は地獄だった。

札幌駅で所要があるとする。その際、自宅を出てバス停ひとつ歩き、コンビニで9%を2本買ってバス停で飲む。バスが来てしまったらカバンに格納し、運転手に見つからないように車内で飲む。ターミナルについたら併設のイトーヨーカドー、フードコートの席で2本飲む。地下鉄車内でも隠れて飲む。札幌駅に着いたら駅コンコースのキオスクで購入して飲む。帰りはそのまま逆に飲みつつ帰るのだが、その頃には9%を10本程度飲んでいることになる。もう歩けやしない。バスのステップを降りられず、膝から崩れる。バス停に見覚えがなく、大声で叫びながらさまよう。吐く。下痢で下半身を汚す。やがて道路に倒れてしまい、ご近所の通報でパトカーで搬送される。一度や二度ではない。何度も何度もそんなことを繰り返した。

元妻の心配、悲しみ、痛みはどれほどだったことか。すまない。本当に済まない。でももう遅かったんだ。取り返しがつかなかったんだ。俺は今一人暮らしの部屋で、遅すぎた言葉を連ねている。