308 酒害の記憶、その内の一つ
飲食店をやっていたことがある。
蕎麦屋だ。若いころに経験もあったし、
若き蕎麦生産農家とのご縁もあった。
広大な土地で蕎麦を生産していたんだ。
何度も会い、夢を語り、ついに北34条に
席数12の蕎麦屋を開店させた。
当初は繁盛していた。だが心では。
俺は手足がダメになり、ドラマーを引退した。
だから音楽やドラムから一番遠くにいたい。
だが、心の本音の訳がないんだから
やればやるほど苦しさが増えてくる。
飲むしか逃げ道がなかった。
俺は朝8時には店に入り、仕込みを始める。
ずっと飲みながら。開店の11時半には
ほとんど出来上がっている。オーダーも
飲みながらの提供だった。
そんな店が繁盛するわけがない。
客足は時とともに落ちる。ついには来店ゼロの
日さえ珍しくない状況だ。でも飲んでいた。
閑なので飲む口実には困らない。
客が来ないのに、店のバックヤード=倉庫のような
ボロボロの空間に薄い座布団を並べて泊まり込んだ。
毎日にように泊まり込んだ。
そんなころに、俺は両足の土踏まずを不規則に襲う
激痛に耐えかね、自分の意志で札幌緑愛病院に
行くことにした。元妻は本当に喜んでくれた。
俺は病院が大嫌いだったから。
糖尿病による入院は4週間だった。
そして体の数値からアルコール依存症、
アルコール性肝機能障害が明らかとなり、
幹メンタルクリニックを紹介される。
そこから今に至るドアが開いた。
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