309 勤め人になろうとした
そんなことがあったんだ。
あれはもう入院前半年間位の期間、やってみた。
12年間やってきた自営業の制作会社に対して
限界を感じていたことが一つ挙げられる。
web制作と言う仕事はずっとずっと学び続け、
日進月歩の技術や仕組みを叩き込まねばならない。
10年前は最先端だった知識と技術でだましだまし
やってきたんだが、ここ数年はもう息切れしており
最新テクノロジーを学ぶ気持ちにならなかった。
ドラムが叩けなくなったことでモチベーションが
続かなくなっていたことは間違いない。
まずやってみたのが大量調理=特別養護老人ホームの
調理場厨房だった。このジャンルではおなじみの
超低報酬だった。俺の勤務は11時から夜8時まで。
休みは2週で3回。それで月給手取り14万円だ。
2か月間勤務したが、俺は昼の休憩時間、夕方の
休憩時間には必ず飲んでいた。コンビニが隣だったんだ。
コロナ前だったが厨房なのでマスク必須だ。
アルコールのにおいはばれないと思っていたんだ。
だが酔っているわけだ。俺はこともあろうに
夜の休憩時間に飲んでいたストロングチューハイの缶を
厨房の冷蔵庫に入れたまま帰宅、翌朝皆に知られる。
本部の偉い方々や厨房の方々に当然叱責され、懲戒免職だ。
給与はしっかり振り込まれていた。その点では助かった。
懲りなかった俺はまた厨房に入った。今度は居酒屋チェーンだ。
勤務は午後3時から午前3時!!!
帰りは無料送迎なのだが、清田と言う場所柄、俺の下車は
常に最後、午前五時になることもあった。
俺はその際にコンビニ前で降ろしてもらい、酒を買って
歩き飲みしながら帰宅していた。そうなると就寝は
午前6時あたりだ。8時間寝ると午後2時、すぐに出ないと
出勤時間に間に合わない。しかもどうにも仕事を覚えられない。
そりゃそうだ。飲んでいるんだから。酔っているんだから。
俺は2週間しか持たなかった。
3時の出勤時間を過ぎて厨房に行き、もう無理と伝え、
当日のバックレという暴挙に出た。酒に加えて心身ともに
限界をとうに超えていたんだ。
酔った頭で、俺は「良く一般市民はこんな面をして働くな」と
ある種の感慨を覚えた。俺は12年にわたって自分の名前だけで
生きて来たわけで、そんな(小なりとは言え)お山の大将が
いきなりゼロから社員としてのスタートなど切れるわけがない。
俺は「勤め人」の可能性も閉ざされた。
荒れた。荒れに荒れた。俺の依存症はますます深刻化し、
目覚めている時間はもうほとんど歩けないのが普通だった。
脳裏には時折「死」がよぎり始めたころだ。
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