377 飲んだ上での最悪の出来事
初めのうち、そう、2014年あたり。
俺は自営の会社において業績が悪く、
あらゆる経費を削減することになる。
まず賃貸の事務所を解約。従業員は完全出来高。
そして・・・自宅だ。美しが丘の3LDKのマンションだ。
息子が2歳あたりか、夫婦で相談の上で購入した。
しかし・・・このマンション、公庫の返済と管理費、
修繕積立、駐車場などなど、毎月12万円かかっていた。
俺は妻を一生懸命説得した。妻はこのマンションが
自分にとってとても大切なものであることを必死に
訴えた。住んでいたい、その願いをを俺はかなえて
あげることが出来なかった。
どれだけ寂しく悲しく情けない思いをさせたんだろう。
探した清田の一軒家は無駄なほどに広く、物件としては
よかった。家賃も6万円と、破格だった。
そしてその頃から俺はアルコールにのめりこんでゆく。
バカだ。浮いた経費と言う頭を都合よく捻じ曲げ、
全て酒代に費やした。ほぼ毎日色々な方々と飲みに行き
飲酒運転で帰宅する。
コンビニで買った酒を抱えて寝床に入る。
そして顧客との経緯があり、俺はそば店を開業する。
今から5年前、2016年のことだ。
その頃には俺はもう立派なアルコール依存症患者だ。
朝一から隣のまいばすけっとで酎ハイを買って
飲みながら仕込みをする。
ある日の営業後、俺は客の来ない店内で飲みながら
TVを見ていた。「・・・客も来ないし帰るか・・・」
俺は5万円で購入したぼろぼろのパジェルミニに乗り
帰宅した。・・・いや、帰宅できなかった。
36号線と環状通の交差点、環状通側の中央分離帯に
スリップして乗り上げてしまった。運悪く(良く?)
すぐそばで事故処理が行われており、警察官がたくさんおり、
皆で押してくれた。
一発だ。車か下ろされた俺は歩くけなかった。
話もろくに出来ず、その上失禁するに至った。
その場で逮捕、俺は豊平署に護送された。
留置場と言う場所があそこまで厳しいものだとは。
俺は翌日の午後まで酒が残っていた。午前中の取り調べで
自分の名前が書けないんだ。手が震えている。
今思うと離脱の典型的症状だ。歩行もままならない。
逮捕された晩、俺の知らないうちに妻と息子が
取調室の俺を確認しに来ていたことを知る。
翌日の午後。迎えに来てくれた妻は・・・微笑んでいた。
「誰にもぶつず傷つけず、何も壊さなかった。
あなたはやっぱりついている人なんだ!」
そう言ってさあ、帰ろうと手を引く。
俺は何をやってるんだ。こんな素晴らしい人を悲しませ
大切なものをたくさん奪い続けてきた。情けない。
だが俺のアルコール依存症は、そんな程度の後悔や
思いなど通用しない。ますます俺は飲みたくもない
酒と言う薬物にのめり込み、狂っていくことになる。
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