ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

438 希望と絶望

これは実に難しいんだが、
今現在で言えば希望に満ちている。


俺にとって一番大切にして生きて来た「音楽」がある。
仲間がいて共に同じ理想に向かって突き進んでいる。
これを希望と言わずして何というのか。

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2014年のドラマー引退以後、これが全部なくなった。
と言うことは「希望が全部なくなった」とも言える。
事実そうだった。当時は自分で見ないように見ないように、
意識の奥底に閉じ込めていたから「希望がない」事実そのものに
気づいていなかった。どうしてこんなに鬱なのかわからなかった。
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音楽から遠ざかるんだ。意識から音楽を消すんだ。
音楽から最も遠くに行くんだ。そう考え、俺は飲食店を開いた。


2年間営業し、最悪の酒害にまみれてしまった。


朝からの大量飲酒だ。バックヤードで寝てしまう。
ボロボロのバックヤードは油とコンクリートと梁で不潔感に
満ち溢れていたが、むしろ俺の乱れた精神には適合していた。
俺はその一畳程度のスペースに布団を敷いて寝泊まりしていた。


激しい急性の下痢で、トイレに間に合わないこともしばしばあった。
汚れた下着やスェットは倉庫の隙間に勝手に捨てていた。
もうクズだ。

その後糖尿病で一か月入院し、一時的に俺は酒を抜くことが出来た。
その後三か月程度だが、断酒できたんだ。三か月が限界だったが。


再飲酒が始まった頃、俺は「勤め人になろう」となぜか思った。

まぁ逃げだろうが。最初は特別養護老人ホームの調理場だ。
大量調理の現場である。なかなか勝手がつかめず、厳しい先輩もいて
難しかったが、何よりも勤務時間だ。午前11時から午後8時までの
勤務だった。週休二日、総支給で14万円だ。手取りは11万と言ったところか。
この業界でよく聞く、薄給トップ業界だ。

2回の休憩時間、隣のコンビニで酒を買って飲んでいた。

配置替えとなって、西岡の施設から琴似に移動した。
入居者数は極端に下がった。20名以下だ。その分仕事は楽だったし
俺が思ったような創意工夫も出来た。気の合う仲間も出来た。

しかし。また酒だ。


休憩時間にコンビニで買って飲んでいた酒を、こともあろうに
業務冷蔵庫の中に入れたまま帰宅し、翌朝のスタッフに発見されてしまう。
「杉山さん・・・冷蔵庫のこれ、何?」あの時の絶望感は忘れない。


俺は叱責の上でその当日に免職となった。
2か月しか持たなかった。



それでも懲りなかった俺は、今度は居酒屋チェーンの厨房を狙った。
難なく合格、給与も特養の二倍だ。
勤務先は札幌駅前の大型居酒屋だ。恐ろしかったのが勤務時間だ。

午後3時の店に入り、午前3時に帰宅だった。

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これはとんでもない重労働だ。

無料送迎バスは出ているんだが、清田と言う端も端なので下車は最後、
場合によっては朝5時くらいになる場合もあった。


そのままコンビニで酒を買い、歩き飲みで帰宅する。
過ぎに6時、8時間寝たら2時、すぐに出ないと3時に間に合わない。

地獄だった。

俺はわずか2週間後、出勤時間に着替えずに現れ、今日でやめると
宣言し、背中の罵詈雑言を聞きながら店を後にした。
冗談じゃない。二度とやりたくない。


結局勤め人も出来ないのか…この頃は絶望しかなかった。
ますますひどくなる連続飲酒とブラックアウト。
この後、程なく俺は家庭を壊し、
長期入院することになる。



あの頃から見たら、今の俺はまるで天国の暮らしだ。極楽だ。

入院もそりゃ地獄だったが、飲食店経営から始まる迷走5年間は
絶望しかなかった。
よもやこんな楽しい毎日が来るとは。
まぁ寂しいんだが、でも希望に満ちていてむしろ焦ってしまいがちだ。

違いは二つしかない。



音楽をやること。そして酒をやめたことだ。



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