幸せに定義なんてあるのか
不幸にはありそうに感じる。人に必要とされていないなど。だが必要とされたくなく、実際絶対的な孤独を大切に思っている方々もいるみたいだ。
一人で何時間もスタジオに入ってドラムの調整するのも、その一種かも知れない。
TAMA Cocktail Jam Drum の現状アレンジです。普通にHH(12")にRIDE(12")、クラッシュは全部スプラッシュ、後はチャイナとベルです。あと2枚加わります。#TAMADrums#drummer#drums pic.twitter.com/aMPQngG7N1
— 杉山雄一 (@drum92594656) 2021年2月26日
分かりやすいところでは貧富の格差だろうかか。だが大富豪の大不幸もよく聞くはなしだ。
無数の要素があるなかで、俺は変化への対応力が幸不幸の分かれ道だと感じる。
勤め先の倒産が本当に絶対的な不幸なのか。離婚とは絶対的な不幸なのか。
好きなものを作って好きにいただけるんだぜ?
派遣で雇い止めにあい、寮を出され所持金数百円で新宿の炊き出しに並ぶ、俺よりかなり若いやつ。君は本当に何とかしようと動いたのか。携帯あるじゃん。調べられるだろ?君らのような困窮者向けに、様々な救済策があるんだよ。
なのにただその場に座って。誰かが何とかしてくれるのを待ってるんだ。
年収が生活保護以下でも素晴らしい人生を送っている方々もいるみたいだ。
その点、限定した意味では、俺は幸せだ。ここ数十年で金の心配をしなくてすむ初めての一年まで。あと三ヶ月だ。