320 最後の酒害
昨年2020年5月28日
俺は「黄色」となって敷地内なら
出入りできるようになった。
一週間ぶりのタバコは本当にうまかった。
禁煙所が屋外なので、何となく開放感がある。
喫煙所の片隅で俺は何度も息子や元妻と長電話をした。
そしてその3日後。6月1日。
俺は晴れて「青」となり、外出自由となった。
良く行ったのはフェリーターミナルだ。
何度ここからフェリーに乗ってツアーに行ったことか。
その頃の輝きと比べ、今の俺は一体何だ。
俺は現実を見ることが出来なかった。
現実から、俺自身から逃げるしかない。
誰にも弱音を吐けず、常にすごいやつと思われないと
自分が内部から爆発してしまいそうだった。
自分を自分以上に見せるべく腐心していた。ずっと。
どれほどドラマーとして評価されようと、必要と
されようと、全く満足出来なかった。それどころか
俺ほど下手糞なドラマーがいるのかと本気で思っていた。
経営者として、いくら黒字を出そうと案件が増えようと
全く満足していなかった。それどころか危機感と焦りで
常時胃が痛かった。
褒められず愛されず育った俺には
自分を愛する方法が分らなかった。
出来ることは依存だ。俺は元妻の
やさしさや心の広さにただ依存していた。
それでも何とか家族には幸せになってほしくて
全然平気だと言い続けてきた。そのツケは、
アルコール依存症となって俺に襲い掛かってきた。
酔っている間だけだったんだ。
痛みを苦しみを忘れられるのが。
でも酒害中はそんな意識さえなかった。
今だからわかることに過ぎない。
飲まなければ大変なっことになる!
そんな意識だけだったと思う。
目の前のイオンで俺はストロングを何本も買って
フェリーを眺めながらいつまでも飲んだ。
その帰路、バスが2時にはなくなるのでタクシーで
小樽駅前まで行く。そして小樽駅舎に併設の
昼からやっている居酒屋で飲んだ。
俺の頭は飲めるという状態に支配されていた。
そんな毎日が一週間は続いただろうか。
その日は病院至近のスーパーアークスで
ストロングを3本ほど買い、線路沿いで汽車を眺めつつ
夕方の戻り時間、4図までずっと飲んでいたんだ。
そして、病院外での連日の飲酒が
ついに病院側に知られることとなる。