ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

330 「新生会」とは

311の二人部屋から一週間で307と言う7人病室に入った。

その間は半月以上、俺は外出してはあちこちで飲んでいた。
そして飲酒行為が病院側の知るところとなり、
隔離部屋へと収容された。その経緯は以下の三篇を
ご覧いただければと思う

sugiyama-yuuichi.hatenablog.com

sugiyama-yuuichi.hatenablog.com

sugiyama-yuuichi.hatenablog.com

本気で断酒すると決め、改めて俺は307病室で
入院生活を送る。飲酒中には気づかなかった
色々なものが見えるようになってくる。


その中でも最も奥の部屋、デイルームの手前の7人部屋が
気になった。例によって3人:4人のベットが並ぶ、その3人側の
廊下側に机があるのだ。本もたくさんあり、意味が解らない
道具もたくさんあるようだ。部屋の番号は忘れてしまったが、
ドアには「新生会」と書かれた札がぶら下がっていた。


俺は定期的に会話する看護師や会話するようになった患者に
新生会とは何なのか、訪ねてみた。わかったことは。

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+ 8回の外泊訓練を終えて退院が決まる患者の病室

  1. 7名は病院のために仕事をする。合同例会の準備、月に一度発行の機関紙の制作配布、これがなかなか面倒である。俺は「自分の治療の役に立つわけでもない、自分にとっては不要な役割」など全くやる気になれなかったのが正直なところだ。覚えようともせず人に聞いてばかりだった。そもそも退院日が決まってる俺には覚える必要などない本音では思っていたんだ。

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+ さらに他の病室とは違い、自主的にやる夜のミーティングがある。
持ち回りで司会者が変わる。と言うか新生会の会長、副会長が
退院日の逆算で順次決まるんだ。俺も両方やった。
どのようなミーティングでも必ずドアを閉める。

AAでよく聞かれるような宣言に続き、その日のテーマを
入院患者の誰かに決めてもらい、そのテーマに沿ってミーティングが続く。
途中でグタグタになって世間話になることもあった。

また週に一度、院長直々に回診が行われる。
一般閉鎖病室の時とは全く異なり、微に入り細に渡り
一人一人に個別対応するのだ。一般閉鎖病室の時はほとんど
単なる通りすがりに見える場合さえあった。

一般閉鎖病室307に入っていた際、院長と個別に手紙(レポート用紙)を
やり取りしていたのだが、4~5回目の手紙の返信で「いいですね、
新生会への移動を考えましょう
」とあった。あれは嬉しかった。

何時退院できるのか、それがわかるのとわからないのとじゃ
ストレスが何倍も違ってくる。少なくとも新生会に移動して
「あと60日で退院!」とわかるだけでも心は晴れる。

本来なら毎週末、土曜日に出院し、二泊して月曜日の朝に戻るという
8回の外泊訓練は、コロナ禍でほとんど中止となり、俺の場合はわずか
3回の外泊しか出来なかった。トータルの日数ではしっかりカウントされ
外泊によって伸縮することはない。しかし外泊が減るのはストレスだ。

残り60日。このあたりから日一日が待ち遠しく狂おしかった。
当時のblogでもその我慢、ストレスがにじみ出ている。

sugiyama-yuuichi.hatenablog.com
このネクスト杉山を探し当てて閲覧していた問題の看護師は
「退院を指折り数えてるようじゃ人としてダメだよ」などと言うが
俺は一切構わずに、今と同様好きに書いていた。