ネクスト杉山

余りに大きな犠牲を払ったが、ようやくアルコール依存症を乗り越えたドラマーの、明日への布石

考えてみればこの事態って

一昨年からのコロナ禍による変化。

人と会わず、外出を控え、外食も控え、
ステイホームで、不要不急の外出禁止。

アルコール依存症患者の退院後と似ている。

2020年5月25日から10月1日までの
入院期間中は70人に1台のTVでしか
社会情勢が分からなかった。

と言うよりも、精神病院に入院していると
余り社会のことをわかろうと思わない。
こっちは隔絶され、置いて行かれてるわけで、
生産性あふれる社会の現状を知ることは
そうじゃない自分の哀れさ、惨めさを
わざわざ体感することになるから。

退院してすぐの頃はTVがなかった。
ネットとyoutubeばかりをかけて孤独を
ごまかしていたんだ。退院直後の孤独感、
疎外感、劣等感は本当にすごかったから。

やがてもともと家族で使っていた42型のTVが
俺の部屋で使うことになって運ばれてきた。
どれだけ助かったことか。毎日ずっとonだった。

今でこそ何とかマイナスの心境には打ち勝ち、
あるべき姿に向かって驀進しているものの、
退院直後はつらかった。が、ほとんどの市民は
多かれ少なかれ似たような側面があるように思う。

今の大学2年生なんて、誰とも会わない人もいる。
2年間も!気の毒だし、気持ちがわかるだけに
お互い乗り越えようって思うんだ。

俺は怖がりなんだ

そうなるように育ってきた。アルコールとギャンブルと女に
おぼれていた父。伊東市の高校を卒業してせっかく入った
信用金庫を、顧客の金を使い込んで首になった。

俺は生まれたばかりで若い二人ではどうしょもないし
父型の実家からは罪状に鑑みて絶縁となり、父母は東京に
逃げてきた。その時に俺は北海道、日高の浦河町荻伏に
預けられたらしい。3歳まで。

3歳で東京に連れ戻された。記憶もおぼろだが、毎日怒鳴り合い
掴み合いながらの大げんかばかりだったように記憶している。
子供心に、俺は「今どうすればこの場が丸く収まるか」ばかりを
考え、大人の顔色ばかり窺う子供になっていた。


それはそれで怒られるんだ。「人の顔色ばかり見やって」と
何度母に殴られ、蹴られたことだろう。
柱に縛り付けられて火をつけられたこともある。

特に笑うと怒られた。楽しそうにするなと言われる。
遠足の写真で俺が笑ってる一枚があったんだが、
火が付いたように折檻された。楽しそうにするな、恥ずかしいと。

杉並区の和泉町、京王線代田橋に住んでいた。
父はトラックの運転手だ。相変わらずけんかも多かったし
母が出て行ったりと言うこともあったが、9歳までを過ごし、
10歳の頃になぜか北海道へ一家で転居する。

恐らく夫婦なりに人生の出直しを図ったんだと思う。

その日から、俺が実家を出て23歳で一人暮らしを開始するまで、
恐怖の毎日だった。血が飛び交い、父の酩酊があり、母の風俗勤め、
自らに向ける包丁、父の再度の使い込み。数千万だったらしい。
それに伴う自殺未遂。止めたというか、列車が来る寸前で
線路の土手から父を投げ飛ばしたのはこの俺だ。高校生だった。

一人の人間が感情を激したときに何が起こり、周囲がどうなるのか
徹底的に叩き込まれて育った。

色々な方法があっただろうが、俺は親の恐怖から逃げ、
そして唯一のよりどころだったドラムが叩けなくなったことから
目を背けるために酒に逃げた。

つい昨年、親とは縁を切った。楽しいことではないが、
俺は良かったと思っている。初めて思っていたことを言えたんだ。


両親を見ていて、俺はこうはならないと決めていた。
息子の前では絶対に喧嘩をしないこと。大切にすること。
何があろうとありがとうを伝えること。感謝知ること。

それは守ってきた。

なのに。酒害で家族を失うことになってしまった。
元妻に「幸せにしてあげられなくてごめん」と、入院中に
メールしたことがある。
「いいえ、幸せな三十年だったよ」と返ってきた。

病気を治すんだ。俺は病気を治す。だから飲酒欲求なんてゼロだ。
自分がバカだったとは思わない。病気になったんだ。
だからその病気を治すんだ。今のところ順調だ。

思ったより全然困っていない。とても順調だ。

日常が淡々と流れる不思議

毎日って毎日なんだね。あれだけの思いをして
心がちぎれそうな思いをして、思いをさせて、
やっと退院して半年。

気が付いたら毎日自炊して、ほぼ毎日治療や
自助グループデイケアへの参加があり、
リハーサルが進行し、レコーディングも決まった。

ここんところ仕事が極端に忙しい。年度末と言うこともあり
顧客のweb更新が一気に押し寄せた。今の今までCSSを
再構築していたところだ。明日の新製品ページ公開まで
気が抜けない。明日もメインPCの前から動けないだろう。

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SNSやyoutubeなど、遊びや音楽を聴いたりするのは
仕事のマシンとは分けており、食卓テーブルのノートPCだ。
やっとノートに向かえた。って、今の今もお客様から電話だ。

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もう2~3時間もしたら睡眠時間だ。これが助かる。

俺のように仕事があってバンドをやってて音楽がライフワークで
息子としっかりつながってて・・・そんな依存症の退院患者が
何人いるんだろう。

俺が良く聞く退院患者のよくある姿って、実に寂しいんだ。
生活保護のお金で購入した最低限の家具家電がある。
布団、テレビ、ガスレンジ、炊飯器、ストーブ、テーブルと言った
ところか。いきなりそこに一人だ。考えるまでもなく箸一善、
お玉一つないわけで、料理出来るようになるまで時間と費用が
かかってしまう。仕方なく皆、お弁当を買うんだ。

そして酒を買ってしまうんだ。

俺が順調に酒害から抜け出し、問題なく断酒できているのは
環境と考え方と周囲のおかげだ。何より自分のお陰なんだ。

明日はきっと仕事に終始する。でも髪を染める。
そして明後日は、一人スタジオ入りしてドラムを整えよう。

これまでのことがよみがえる

今日、わけ合って人と会い、打ち合わせをしたんだけど
その内なんだか「これまでから今に至る流れ」の話に
なったんだわ。主に結婚してから息子が生まれ、
マイホームを買って仕事が変わって・・・そして
今につながる話。

息子が小さかった時にマンションを買った。
夫婦二人でまずは万歳したっけな。
かなりの期間、安定した幸せな生活が続いた。

勤務先の様子がおかしくなり、会社を辞めた。
40歳の頃だ。あれから迷走が始まったように思う。

幼かった息子と家内一人を札幌に、俺は単身首都圏に
乗り込み、ドラマーとして、webクリエイターとして
生き始め、それがもとになって札幌に戻り、
札幌クリエイトとして独立起業した。

当初は本当に好調9だった。専門学校の非常勤講師も務め、
一時期は一千万プレイヤ-だった。

それなのに。

幸不幸って、比較対象することじゃないんですよね。
砲弾飛び交う中を命がけの仕事をした戦場カメラマンも
虫歯一本でのたうち回るんだ。人の痛みや苦しみは
絶対にわかりゃしない。


つまり俺の悲しみ、痛み、苦しみは誰にもわからない。
同時に、痛くないし悲しくないし苦しくないかも知れない。
だってわからないんだから。今、俺はとても幸せかも。

毎日やることがある。誰かが俺を待っている。
最愛の息子がミュージシャンとして共同体である。
ドラマーとして刻一刻と復活パーセンテージが上がっている。
毎日の料理が楽しい。おいしい。リハーサルが最高だ。
レコーディングの予定もついに決まった。

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最高じゃん。


www.youtube.com


もちろん元妻への思いはある。寂しいし悲しい。当然だ。

でもさ、このまま飲まないで生きて行けば、
たとえ会うことがなくても、何らかの情報で
「飲まないで生きているんだね」って思って
もらえるかもしれない。可能性はゼロじゃない。

俺、それで十分幸せになれる。

スリップの話

俺の周囲の断酒関連の皆さんね。
極一部なんだけど、どうも俺に

「俺に飲んで欲しい」
「スリップが楽しみ」

ってな感覚を持ってる輩がいるんです。

俺、飲酒欲求が全然ないんですが、それが面白くない。
信じないとか。「いやいや絶対飲みたいはずだ」とか。

自分と同じと思いたいんですかね。

残念だな。俺、生涯飲まないから。飲みたくないし。
せっかく俺が滑っちゃうのを楽しみにしてたんだろうが
それどころじゃないんだわ。レコーディングだしね。

俺は2020年6月15日からの三日間、隔離部屋収容で
全てが変わったんだ。気づいたんだ。
だからいまだに炭酸飲料も飲まないしタバコも吸わず
飲酒を誘発するものすべてを捨てたんだ。
それくらいの事が出来なければ、音楽現場の一線に
戻れるわけがない。そんなに甘くはないんだ。

ドラムを叩いて一線で表現することに比べたら
酒をやめることなんて物の数じゃないんだよ。

youtu.be

デイケアにて

朝9時過ぎに出て南平岸から
に西18丁目のメンタルクリニックへ。

スマホに速度規制が入ってしまい、Google drive に格納してある
リハーサル録音さえ聴けないし、
FB の更新もままならない。

も、だめだなこの携帯。

せめて昨夜上げたYoutube
テストドラミングでもどうぞ。

今日はデイケアが4時に終わり、
五時から請求書発行送信、
七時から8時半までAA ミーティングた。
ゆっくり出来ないのです。
今夜はお粗末定食で参ります。
焼き海苔。納豆。佃煮。味噌汁。

明日は明日で弁護士事務所、
んで豊平区役所なのである。
銀行も行かないばならん。

年度末とか関係ないかと思いきや
以外とやることが多いからほれ、
体が休まらん

なかったことにしたい・・・か。

今日のメンタルクリニックで、先生に言われた。

俺がセイコーマートに入った瞬間、店内の香りで
酒害当時の感覚が一気に降って来た時の話をした。
そうしたら言われたんだ。



「その頃を『なかったこと』にしたいんだろうな」って。



意識したことはなかったけど、そりゃぁね。
なかったことに。出来ないってことは当然わかってる。
何と言うか、反射的に「うわっ」ってなったんだ。



この店の香り。こんな空間で俺はストロングをたくさん買って
帰宅途中の公園ベンチで飲んでいたんだ。
それの何がおかしいのか、どう変なのか、何も考えていなかった。

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俺がいしばし病院に入院中、外出して派手に飲んで
それがばれ、隔離部屋に三日間収容された、その時に俺は
突如として考え方も姿勢もひっくり返ったんだった。
なくしてしまった家族・妻に関しては当然悲しいし寂しいし、
でも今そこを思ってても何一つ解決しない。

酒はやめる。ミュージシャンに復帰だ。

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飲酒を誘発するタバコ、炭酸飲料、

栄養ドリンクも摂らない。

結果はあくまでも今だけだ。
今がこれまでの結果なんだ。
その結果、俺は一か月半後、
レコーディングに入る。

五感で思う過去

普段ほぼ100%マスクしてるので、春を迎えたこの
札幌の空気感に気づかなかった。たまたまマスクをずらしたら
外気の春を感じたんだ。退院した10月1日から今日まで、
ずっと冬だったわけなので、やっと訪れた春めいた陽気に
何となく気分も上がる。

さっき歯医者に行ってきた。その帰路にセイコーマートに寄ったんだ。
コンビニって、店によって独特の香りがすると思わん?
セブンにはセブンの、ローゾンに、ファミマに、それぞれの
香りがあるよね。セイコーマートにもね。

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おれが清田の一軒家に住んでいたころ。
ほとんど毎日のように通っていたのがセイコーマートだ。
チューハイや4リトル焼酎タンクが安いんだよね。

今日久しぶりにセイコーマートに入ったら、瞬時でその時の
感覚になったんだ。酒害の真っ最中は「自分が何をやってるのか」
「どれだけ危ない状況か」「家族の心配」「命の危険」などは
全く頭になかった。回復している今だからこそその頃の危なさに
思いが至るんだ。


みじめであわれでどうしょもなかった自分を思い出すんだ。
多分、この感覚は一生涯ついて回ると思う。
もう飲むことはないけど。

入院生活

俺はたかだか4か月だった。
参加している断酒会の代表は8年だ。

説得力が違うが、そこは何の自慢にもならない。

面白いものでネットに落ちている画像はきれいなものばかりだ。

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二枚目は当該病院ではないが、俺が入っていた大部屋に
かなり近い絵である。こんな感じだった。隣のベッドとは
30センチだ。ベッドを含め、あらゆる金属はさびている。
床のタイルは50%以上はがれており、トイレなどの窓ガラスは
針金入りの留置場仕様だが、それでもひびが入っていて
カギが動かない窓も多い。まぁガキがかからなくても
窓が開くのは3センチ程度だが。自殺防止策だ。


閉鎖病棟を出られるのは「黄色」の患者、これは敷地内
外出が許可される。そして「青」これは敷地外でもOK。
おれは割と早く「青」になれたので、よくバスに乗って
小樽駅前や、逆方向のオタモイ海岸に行って好きなだけ飲んだ。

そんなある日、カウンセラーと二人きりで話さねばならなくなり
匂いで速攻ばれた。ものの5分で隔離部屋に収容だ。

隔離部屋。留置場とおおむね同じである。


あの3泊があって、俺は考え方を180度変えることが出来た。
それはいまでも貫いている。タバコも同様。


また折に触れて入院生活の地獄を書こうと思う。

偏見と病気

こればかりは仕方がないんだ、今の今は。
未来はわからんが。

だって知らない人から見たならば、



●毎日酒を飲み
●前後不覚になるまでやめられない
●借金してでも飲む
●泥酔して道路で寝込む
●歩けない、階段から落ちる
●家族や上司や親に何を言われても酒をやめない
●事故を起こしたり犯罪に手を染めてまでも飲む


こんなやつを見たら誰だって「人間の屑」「ダメ人間」と
感じて当然だと思うんだ。

でも200万人以上の患者の中でわずか4%程度しかいない
入院治療通院している依存症経験者ならわかる。


あれは病気なんだ。


甘えでも言い逃れでもない。事実病気なんだ。
つい20年前までは単なるアル中(今はこの言葉はない)と
片付けられていた。入院したとしてもその環境は劣悪で
拘禁施錠状態だったと聞く。

まだ俺は断酒して10か月だが、どうやら脱している。
酒に逃げる必要がない生活を送ることが出来かかっている。


皆に分かってほしいとは思わないし、それは無理だ。だが事実
犯罪者だってかなりの割合でそこには病気が横たわっている。
その個人を責めても何の解決にもならない。
病気を治すんだ。